掛け取り漫才(かけとりまんざい)

TERAYAMA Shizumi/ 9月 17, 2013/ 落語/ 0 comments

$こうたろう.com

「信用」って言葉の重要性を、今さながら噛みしめています。

でもこの感覚って、実に日本人らしいなあと思います。
たとえば、アメリカなんかでは、すべて「契約」で済ませますから
極論ですが、印鑑とサインさえあれば、あとはどうにかなります。
(もちろん、人と人の間には信用問題はあるでしょうが)

この「信用」ってやつは、構築するのは難しいけれど、失うのは一瞬です。
ジェンガが崩れるように、ガラガラと音を立てて壊れていきます。

しかも直接的な原因よりも、第三者的な立場から入ってくる情報の方が
どういうわけだか、悪い意味で効果的なのです。

「みんなが言ってたよ」とか「○○って聞いたよ」とか。

この場合のみんなとか、○○の正体って一体なんなんだってことですが
それはつまり、世間体という、やはり日本人的な発想のことだと思うのです。

村社会という限られた共同体で、長い間生活していたものだから
その共同体の中であらぬ噂が立つと、巡り巡って何倍にも膨れ上がり
本人にたどり着く頃には、収拾がつかなくなっている、なんてことがあります。

ゴシップネタとか大好きですもんね。
本場のパパラッチだと、ある意味逆に虚構の世界だと割り切れるものが
日本人的な、中途半端にぬるいパパラッチだと
どこまでが本当で、どこまでが作り話なのか、本当に分からなくなります。

そして、一度疑心暗鬼に陥ると、そこからは無限ループのように
とめどもなく不安と不信がうずまいてしまいます。

実にもったいないなあと思います。
自分の目で見たモノしか信じない。
という考え方は、ある意味正論ではありますが
視野を狭める可能性もあるので、あまりお奨めしません。

何をより所にしたらよいのか分からなくて途方に暮れているのなら
たった一つでいいから、自分が信じられるものを探してみたらどうでしょう。

たとえば、演出をしたり脚本を書いたりする作業はフィクションの出来事です。
にも関わらず、その作業を続けられるのは
たった一言の台詞を信じているからです。
その一言を成立させるために、他の台詞やト書きがあるのだと思えるからです。

○○かも知れない。
この「かも」で思い悩んでいるのなら
いっそのこと、そこに費やしている労力を真逆のエネルギーに変えてみる。

今回の噺の主人公は、降りかかる災難を全部はったりで乗り切ってしまいます。
自ら招いた災難にも関わらず、です。

はったりを褒めるべきではないのかもしれませんが
フィクションをノンフィクションに変える力は相当なものです。

「信用」を取り戻したいのなら、一から積み上げていくしかありません。
「信用」したいと思うのなら、もう一度、どうにか踏ん張ってみる。

目に見えない不安や不信に苛まれるよりは、何倍も素敵なことだと思うのです。


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