猫の皿(ねこのさら)

TERAYAMA Shizumi/ 7月 21, 2013/ 落語/ 0 comments

$こうたろう.com

一つの事象に対して複数の見解が出た時
そこはとことんディベートしてほしいのです。

ところが、日本人はこのディベートが下手。
すぐに感情論になって、もの別れして
お前、夜道を気をつけろよ的な展開になってしまいます。

政治家さんたちの討論会なんか見ていると、非常に分かりやすいですよね。
あれ、まったく討論会になっていないですから。
自己主張するだけの無味乾燥なものでしかありませんから。

国会の代表質問や答弁なんかを聞いていてもまったくかみ合っていませんし。
今どきヤジを飛ばすって、いつの時代の産物なんだよって話で。
寝ている議員とか、まったくもって論外です。

小学校の学活の方が、よほど建設的に回転しています。

もちろん効率的なディベートをするためには
それ相応の訓練を積んで、そして高い技術力が求められるので
一朝一夕にどうにかなるものではありません。

でも上があれじゃ、育つものも育ちません。

さらにこの国には、秘すれば花なりなんて言葉あるくらいだし
謙虚さを美徳だと思う風習がありますから。

なんて偉そうに書いておきながら
僕自身も、論理的で合理的な言葉の使い方をしらないので
沈黙している時間の方が長かったりします。

少なくとも自分が書いた作品には
きちんとプレゼンできるだけの能力が必要ですわな。

それはいいとして。
こんな例え話があります。

ここに、三人の全盲の方がいるとしましょう。
彼らの前には一頭の象がいます。

ある人は「象とはホースのようなものだ」といい(どうやら鼻を触ったらしい)
ある人は「象とは縄のようなものだ」といい(どうやら尻尾に触ったらしい)
ある人は「像とは扇のようなものだ」いい(どうやら耳に触ったらしい)

それぞれが、自分が触って確かめたのだから絶対間違いないと主張します。
これ、どこまで行っても平行線ですよね。
事実かも知れないけれど、真実ではないですから。

と、まあディベートして掘り下げることができないと
万事が万事、こんな具合になってしまいますから
ある人には価値のあるものでも、別の人には価値のないものになります。

前置き長いわ。
前置きの方が長いわ。

これをね、象ではなくて原発だと思って考えて欲しいのです。
エネルギーを生み出すもの、という点では全員がイエスと答えると思います。

じゃあ、使用済み核燃料やら安全性やら利便性を考えたらどうでしょう。
悲しいくらいに意見が分かれますよね。

でも本当に悲しいことは、意見が分かれることではなくて
誰もが危険性を感じながら、それでも必要と言い張る人がいて
そしてなんだかんだと、建設を容認してきた国民がいるってことなんです。
つまり被害者であり加加害者でもあると。

推進派の人たちは、「電力不足になってもいいんですか?」と主張しますが
これは、議論に対する答弁のすり替えです。

「危険なことは承知しているが、効率と利益を考えれば、一番手っ取り早い」
これが本音の部分ではないかと、僕はふんでいるのですけど、どう思われます?

広島がヒロシマになり、長崎がナガサキになり、福島がフクシマになりました。

事故当時、「想定外の参事」と答えている当事者がいましたが
これも論点のすり替えです。
だって、想定内じゃないことが起こることを考えるのが彼らの役目だからです。

反省もなければ、責任の所在もあやふやなまま
他の原発も再稼働させようとしているし
ましてや、この程度の技術力を海外で売ろうとしているのだから
開いた口がふさがりません。

こんなことを書いてみても、それは一部の事実かも知れません。

さてあなたなら、どのようなジャッジをくだしますか?


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