徳は孤ならず必ず隣有り(とくはこならずかならずとなりあり)

TERAYAMA Shizumi/ 7月 17, 2013/ 故事成語/ 0 comments

$こうたろう.com

本日、芥川賞と直木賞の発表がありました。

基本的に新刊のハードカバーは読まないので
いずれ文庫になった時、興味があれば目を通して見ようと思います。

今のシナリオスクールで、シナリオコースに通う前
実は1年間ほど、小説家コースへ通っていました。

入院生活からおさらばし、リハビリ施設とも縁を切って
それでも創作活動からは離れたくないという想いだけで
現実的に通うことが可能だったのが、小説家コースだったのです。

半年、基礎科で学んで、次の半年はゼミへ進みました。
そこで書いた原稿用紙10枚程度の超短編小説があります。

タイトルは「焚火は燃えているか」。

北海道のオホーツク海に面した小さな漁村が舞台になっています。
今に至るまで「小説」という形でコンクールに応募したのはこの作品だけです。
あえなく撃沈しましたけど。

そしてその理由も先生がきちんと説明してくれたので
いつかシナリオに書き直してリベンジしたいなあと思っています。

小説家に「孤高」のイメージがついて回るのは
太宰や三島の影響が大きいからだと思います。
他人の人生食いつぶして、血ヘド吐くまで机にしがみついてというね。

近代文学の小説家たちは、政治活動にも積極的に参加していました。
特に女性の権利を求める運動では
著名な作家たちがこぞって機関誌を発行していました。

そういう意味では現代作家は大人しいのかなあという印象があります。
もちろん時代背景が違うので一概に比較することはできませんが
さすがに、他人の人生食いつぶしてまでのし上がってきましたよと、
そんな話は聞かなくなりましたね。僕だけかも知れませんけど。

これがシナリオライターになると、また趣が変わってきます。
物書きは孤独な作業と思われがちですが、実際はそんなことありません。

もちろん具体的に書いている時は一人作業ですが
担当者やディレクターとの打ち合わせがあったり
資料集めで取材したりと、結構な下準備が必要になってきます。

逆に言うと、ここの下準備さえできれば
後は解放されたかのように台詞に移ることができるのです。
つまりプロットをどう仕上げるのかってことですね。

テレビや映画のシナリオだと、スポンサーがらみの制約があったり
純粋な創作以外のところで、何かと気苦労が多いのですが
プロのライターとは、視聴者のニーズに応えられる人のことであり
色々な条件の中で最高の仕事をこなせる人のことです。

逆に言うと、新人のうちは、ちまちましたことに拘らずに
きちんと自分のテーマがあって、それを具現化させないと
面白味も何もありません。

新人ライターのコンクールで最終選考に残ってくるような作品は
講評を読む限り、荒削りだけど、書きたい意思が伝わってきた
なんてことが評価されていたりします。

テクニック云々以前の問題だと言うことです。

そして将来性を感じさせることができたなら
周りの大人たちが、なんだかんだとサポートしてくれるので
初心のエネルギーさえ枯れなければ
次のチャンスが回ってくる可能性が十分あると。

今は認められなくても、自らの行いに恥じることがなければ
いつかは理解してくれる人が現れるだろうという思い。

春先にあったコンクールでは、大賞は該当作品がなく
佳作が三編という結果に落ち着いたそうです。
しかもその著者が3人とも40代だったという前代未聞のオチ。

僕はどの占いを見ても、大器晩成型で適職は芸術関係と出ています。
でもそろそろ大器の片りんが顔を出してくれないと
困ってしまうんだなあという焦りもあったり。

そのためには、日々精進していくしかないんですなあ。


Leave a Comment

メールアドレスが公開されることはありません。

You may use these HTML tags and attributes: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <s> <strike> <strong>