寄り合い酒(よりあいさけ)

TERAYAMA Shizumi/ 6月 3, 2013/ 落語/ 0 comments

$こうたろう.com

季節も移り、梅雨まっさかりの6月です。

むしむしして暑いのかと思いきや、ここ数日は夜になると急に冷え込みます。
衣替えして、クールビズになったはいいけれど、帰宅時間は少しばかり肌寒い。

とはいえ、これからはビールで乾杯、なんて光景があちこちで見られるのでしょう。
仕事帰りの一杯は格別なんだろうなあ。

生憎、僕は頭のてっぺんから足の先まで、フルチューンの下戸なので
その一杯が持つ格別さが分からないのです。

頭では理解できますよ。
それはみんなの生き生きとした顔を見れば、想像は容易い。
ただ、自分でその格別さを味わえないことが残念だし悔しいなあと思うのです。

味の格別さは分からないけど
みんなの上機嫌な顔を見ているのは楽しい。

居酒屋の雰囲気とか、宴会の場に参加することは、やぶさかではありません。
成人して20年近く経つわけだから、いい加減に慣れたしね。

この噺の登場人物たちのように、お金はないけど時間だけはある。
そんな学生時代、コンビニで飲み物とつまみを買い込んで
夜通し、公園でバカ騒ぎしていたことがあります。
時期が真夏に近づけは、花火なんてものもやったりして。

みんな限界を超えて飲み続けるし
むしろ、超えてからが勝負、みたいなところもあり
そんなへべれけの状態で、人生について熱く語ったりするのだから
今にして思えば、絵に描いたような青春時代だったわけです。

そんな青春時代を謳歌するように、就職もせず、プー太郎で過ごした20代。
人生の過渡期だ転機だと大騒ぎしながら
それでも夢見ることを忘れず、野心と希望で胸いっぱいだった日々。

けれど、時は残酷で、一人、一人とその輪の中から抜けていくようになりました。
朝まで飲んで、徹夜で翌日バイトに行っていた友達が
体力の限界と言って、最終電車で帰宅するようになりました。

夢から醒めた夢、とでも言いますか
現実を直視し始めて、語るべき人生に少しづつあきらめに似た感情が芽生え
希望よりも不安の方が大きくなっていきました。

たとえば、子どもの頃、夕方まで近所の公園で遊んでいて
夕方になれば、それぞれの親が迎えにきて、ポツリポツリと帰っていきました。
その後ろ姿に、大声でバイバイと呼びかけ、また明日と手を振って見送ります。

僕は最後まで残っているタイプだったので、何度も何度も手を振ります。
それは、明日がまたやってくるという期待を込めてのさよならです。

ところが、翌日は塾だとか習い事だとかで、参加するメンバーが減り出します。
徐々に、ゆっくりと、歳を重ねるごとに。
そして気がつけば、自分だけがポツンと取り残された状態。

夕焼けだけがやけに眩しくて、でも、また明日ねという相手がいなくなって
ブランコを必死にこいでみるんだけど、必ず元の場所に帰ってきてしまう。
あの時と同じ感情が生まれてきたことに気がつくのです。

頭では理解できます。

でもビールの味が本当に理解できなかったのと同じように
やっぱり、最後もこみ上げてくる淋しさは自分一人で抱え込むしかなった
そんな風に記憶しています。

年を取ったから遊ばなくなったのではない。
遊ばなくなったから年を取ったのだ。
これ、誰の言葉だか出典は忘れてしまいましたが
自分は永遠のピーターパンシンドロームなんだなあと、しみじみしています。

人生の価値をどこに置くのか。
仕事なのか、恋人なのか、家族なのか、ビールなのか。
それぞれで見える景色は違うでしょう。

でもね。

でも、子どもの頃に、一人でポツンとしながら眺めたあの夕焼け空は
いくつになっても絶対に消えない、大切な大切な心のよりどころなんだよなあ。


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