スープを美味しくしたければ、妻を殴ることだ

TERAYAMA Shizumi/ 1月 26, 2012/ へんなことわざ/ 2 comments

$こうたろ.com
なんとも乱暴なことわざですね。
今の世だったら完全にDV扱いされてしまいそうです。

学校から「しつけ」という名の「体罰」が無くなったのはいつ頃からなのでしょうか。

少なくとも、僕が小学校や中学校時代には間違いなく存在していました。

体罰というと大げさかもしれませんが
ビンタや頭をどつくことは日常茶飯事だったし
校庭10周とか走らされたり、廊下に立たされたりしたこともあります。

単に僕が、いたずら小僧で、先生に目をつけられていただけかしれませんけど。

それでも子供ながらに、愛のビンタと理不尽なビンタの違いは解りました。
なぜ今、自分はビンタされなくてはいけないのか、納得の上で殴られることと
明らかに八つ当たりだろうと思われるビンタの違いです。

こんなエピソードがあります。もちろん実話です。

小学校の時、やんちゃをして先生につかまり、説教を受けビンタされました。
続けざまに反対側の頬もビンタされました。

その時、ビンタした先生はこう言ったのです。
「1度殴られて反省したのなら、なぜ2発目も殴られる必要があるのか」

殴っておいてその言いぐさはないだろうと思いましたが
それでも僕はこの先生のこの言葉が今でも忘れられません。

自分が反省したと思うのなら、大人の理不尽に振り回されるなということです。

で、別の先生の時、またしてもやんちゃをして捕まり
1発ビンタされて、2発目は殴られまいとかわしたのです。

すると空振りした手を見て、その先生は
「逃げるとは何事か!」とさらに強烈な一撃を見舞いました。

先生の立場からすると、ふざけるなと言いたかったのでしょうけど
僕は、完全に前者の先生の言葉を信じきっていたので、反論しました。

すると屁理屈をこねるなと、もう1発ビンタされました。

何が正しくて、何が悪いのかなんて子どもに判断することはできません。
ただ、愛のビンタと理不尽ないビンタの違いだけは解ったのです。

恐怖心や暴力で人を圧することは簡単です。
帝政ローマ時代には暴君なんて呼ばれる歴代皇帝もいました。

けれど、真に民の心を掴むのなら、
恐怖心や暴力では不可能だということも、歴史が雄弁に物語っています。

国家単位の話ではなくても
虐待やいじめや体罰やDVや、あるいは言葉によって
身近なところに暴力は存在しています。

勝ち組と負け組なんてものも、言葉の暴力だと思います。

かといって、なんでもかんでも誉めて伸ばすというやり方もどうかと思います。

スープを美味しくしたければ、自分で作れ。
きっとそういうことではないでしょうか。

それは他人の痛みに敏感になることと似ているのです。


2 Comments

  1. SECRET: 0
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    とんでもない格言だな。家を追い出されるわ(笑)
    理不尽な先生はいたね。特に中学校。当時、「何で殴る必要があるのか?」と思うこと多々。感覚が麻痺してるか、殴ることしかできない幼稚な人なんだろうなと中1ながらに思っていたよ。

  2. SECRET: 0
    PASS:
    >ken13_gkさん
    中学時代は、もっとひどかったかなあ。
    竹刀を持って歩き回っている先生もいたし。

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