死神(しにがみ)

TERAYAMA Shizumi/ 3月 25, 2013/ 落語/ 0 comments

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この落語を読んで最初にイメージしたのが
東野圭吾さん作の「容疑者Xの献身」でした。

よくよく読み比べれば、共通点がいくつもあるなと。
以下、強引ですが、そんな作品にも触れつつ書いていきますので
ネタバレ止めて、という方は、ここでスルーしてください。

絶望について考えます。
人間、自らの手で命を絶とうとするほどの絶望ってなんだろうと思います。
年間3万人もの自殺者を出す国です。
先進国の中でも、人口比率から比べると異常な数字です。

「年間、3万人を切った」と新聞にでかでかと記載されていても
それだって、未遂や幸いにも生き残った人の数を換算すれば
どこぞの戦争で亡くなる人の数より多いわけですから
やっぱり、安心なんてできねーよ、となるわけです。

堤真一さん演じた石神も、人生に絶望して首をくくろうとします。
その時、たまたま部屋を訪れた、隣人の靖子に彼は希望の光を見出し
そして靖子をかばうために、完全犯罪を企てるのです。

絶望の反対が希望であるとするならば、石神の行為も納得できます。
いや、納得してはいけないのだけれど、それだけの説得力があります。

靖子は石神に特別な何かをしたわけではありません。
けれど石神は靖子が存在する、ただそれだけで生きる活力を得ます。

と、考えると
絶望の最果てにあるもの。それは「孤独」ではないかと思うのです。
孤独であるがゆえに、頼る相手もいなくて、すがる希望もない。
石神ほどの天才的頭脳の持ち主なら、宗教に飛びつくようなこともない。

この世で一番辛いことは、誰にも必要とされなくなったことで
それはすなわち、自分の存在を認めてくれる人がいないということです。

いじめや体罰を苦に自殺する若者が後を絶ちません。
これは突発的な自殺です。
絶望が一気にクライマックスになってしまっために起こる悲劇です。

ところが石神のように、じわりじわりと孤独に追い込まれていく人は
まるで不治の病にかかったかのように、希望が浸食されていきます。
そして希望がゼロになった時点で、この世に別れを告げようとするのです。

モノは考えようですから、この世がハッピーで仕方がないという人もいれば
仕事に疲れ、プライベートに疲れ、本当にうんざりしている人もいます。

夢や未来を語ることはたやすい。
けれど、それが相手に響くのかと言えば、また別の話です。

実体のない希望にすがることは、信仰なき祈りに似ています。
それでは絶望を癒すことはできません。

絶望を癒す、なんてこと自体がおこがましいのかも知れません。
それでも、僕たちは明日を生きていかなければならないのです。

あなたの大切な人のために。
あなたを必要としてくれる人のために。


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