once (and) for all

TERAYAMA Shizumi/ 1月 31, 2013/ 英語/ 0 comments

$こうたろう.com
:I’ll give up drinking once and for all.
:She told me once and for all that she did not want to see me again.

残りの人生のうちで、あと何回チャレンジできるんだろう。
先日、同級生とそんな話で盛り上がりました。

何かを始めるのに、年齢は関係ありません。
若かろうが、年老いていようが
本人にやる気があれば、いつだってなんだってできる。

キレイごとでもなんでもなく、本当にそう思っています。

ただ、仕事にせよプライベートにせよ、あと何回本気になれるのかなと考えると
フッと言葉につまる瞬間があります。

それは多分、これまでが嫉妬や悔しさ、後悔などといった負の感情から
今に見ておれというポジティブな感情に変換する際に生まれる
そんなエネルギーがやる気の源だったのに対して
角が取れて丸くなった分、同時に毒気も抜けて
変換する力が弱まったからだと思います。

当然、知力も体力も、若い頃に比べれば落ちていますから
そこと張りあおうとしても勝てっこないのです。

昔、スポーツで鳴らしたお父さんが
幼稚園の運動会で、走って転んでもんどりうつ姿と同じです。

けれど、若い頃にはない武器があって、人はそれを経験と呼びます。
年齢=人生の経験値ではありませんが
それでも10年前にはなかった武器の一つです。
だから、エネルギーを発電する新しい方法を探せばいいのです。

ちょうど、人生が穏やかにカーブを描いている、そんな過渡期にいますから
過渡期なりにもがいているのでしょうけど
ここを上手に乗りなすことができれば、また新しい命の源が見つかるはず。

と、信じたい。

もちろん今だって、エネルギーは生み出しているし
全力疾走していることに違いはありません。

僕は不器用なので、目の前にあるモノだけで精一杯です。
人生に余力を残せるほど、達観していないし悲観も楽観もしていません。
時々、他者(今回で言えば、最初に紹介した同級生)の目を通して
自分の在りようを俯瞰し客観的に見つめる努力をしているだけです。

こんな世知辛い世の中ですから
明日、我が身に何が起きても不思議ではありません。

先日、真夜中に地震があった時だって
意識はかろうじて揺れを感じましたが
寝ぼけていたせいで身体を動かすことはできませんでした。

何をするにしても、これが最後、と思い込むには、いささか度が過ぎていますが
そういう心がけというか、心意気みたいなものは常に持っていたいものです。

大切にしたい人ができたのなら、片意地はらず正直になること。素直でいること。

分かりやすく例えると、そういうことです。


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