過ぎたるは猶及ばざるがごとし(すぎたるはなおおよばざるがごとし)

TERAYAMA Shizumi/ 1月 11, 2013/ 故事成語/ 0 comments

$こうたろう.com
思えば、いつもないものねだりをしているような気がします。

向上心がある、といえば聞こえはいいですが
実はただの欲張りなんじゃないかと、疑ってかかることがあります。
元来持っているであろう、負けず嫌いの性格がそうさせるのかもしれません。

上を見たらキリがないことは承知しています。
けれど、いつかその頂きの向こう側を見てみたいという欲求が
よくも悪くもこれまでの人生のモチベーションになっていたことは確かなのです。

ライバルはいつも自分自身でした。
誰かと比較する前に、まず自分の中の理想の自分と闘います。

思い描く自分の理想像は、何をしてもパーフェクトですから
たとえ現状の自分が精根尽きるまでやり尽くしたとしても
さらにその高みから、やり尽くしてその程度かよと、問いかけてきます。

現状の自分とパーフェクトな自分の距離は、いつもつかず離れずです。
その背中を追いかけて追いかけて、ようやく捕えたと思うと
両の手からするりと抜けおちて
気がつけば、また見えるか見えないかギリギリのところで待ち構えています。

笑うでもなく、悲しむでもなく、ただ手招きをして待っているのです。

それは、永遠に完結することのない物語を、書き続けることと似ています。

そして自分で自分を追いかけるタイプの人は、実は世の中にたくさんいて
そういう人に対する受け皿が用意されていないから
現実の矛盾とぶつかって途方に暮れた瞬間
他人が用意してくれた物語をあっさりと信じてしまうのです。

正月休みに駅前の通りを散歩していた時のことです。
道の両側に、啓発本を広げて穏やかに微笑んでいる集団と出くわしました。
その列の中には小学校に上がる前の小さな子どももいました。

彼らは、訴えるでもなく勧誘するわけでもなく
本を広げて穏やかに微笑んでいるのです。
彼らは、彼らが信じるモノが用意してくれた物語を生きることにしたのでしょう。
だからあれほど穏やかに微笑むことができるのだと思いました。

僕が、向こう側へ行かない理由は
単純に、信じるに足る物語をまだ見つけていないだけではないかと
そんな想いが、列に並ぶ小さな子どもの瞳を見て、フッと頭をよぎりました。

話がそれました。

今でも、結局は道なき道を歩いていることには変わりなく
そのうえ、追いかける背中が段々と離れてきているのも事実です。
もしかしたらオイルが不足しているのかもしれません。

人はそれを「老いる」と呼び…
なんて言葉遊びができるうちは、まだ大丈夫でしょう。きっと。

ひたすら直線を走っていた頃に比べれば
確かに緩やかなカーブを描き始めたことは否めませんが
直線には直線の、カーブにはカーブなりのエンジンとギアがあって
今はその過渡期にいる。

いわば、思春期再びって感じですかね。
気がつけば、これまで大人だと思っていた人たちの年齢に自分がさしかかり
同世代のいとこやはとこが結婚、出産し、新しい家族が増えた。

年の初めにそんな画を見て、どうやら少し弱気になっていたようです。
はい、正月ボケ終わり。

僕は僕の物語をきちんと生きていきます。

出る杭叩かれて大いに結構。
足りないよりは、過ぎてるくらいがちょうどいい。

♪この雨のあと路は輝き、新しい茨の路がまた甦る~

です。


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