come across

TERAYAMA Shizumi/ 1月 2, 2013/ 英語/ 0 comments

$こうたろう.com
:I came across an old friend of mine on the street yesterday.
:I’ve never come across such a strange case.

「出会うモノには、出会う時期に出会うべくして出会う」
という言葉を結構本気で信じていたりしています。

ふらっと立ち寄った本屋で、思いもかけずお宝本を見つけたり
店内に流れる音楽に、ハートをズキュンと射ぬかれたり。

何気ない日常の一コマなんだけれど
あとあと思い出してみると、あの時がきっかけだったんだと
そういう、後悔先立たずではない振り返りを経験したことありませんか。

これって、人にも当てはまる考え方だと思うんです。

ざっくり歴史で振り返れば
義経に弁慶がいて、坂本龍馬に勝海舟がいた。

この数奇な出会いの妙を、偶然という言葉で片付けてしまうことは
なんとなくもったいない気がします。

もちろん、その出会いが良かったのか悪かったのか
ジャッジするのは後世の人たちかもしれません。

でも僕は、出会いはやはり必然であってほしいと願うのです。
ちょっとしたすれ違いや、避けがたい衝突だとしても
それがどこにどう繋がるかなんて、誰にも分からないじゃないですか。

もし本当に「縁(えにし)」というものがあるのだとすれば
偶然の出会いも、おのずと必然に変わっていくと思うのです。

ただし。

ただし、僕が言いたいのは
そのためには、こちらがアンテナを張っている必要があるということです。

何もせずに幸運が舞い込むなんて、そんな都合のいい話はなくて
たとえば、シナリオを書くための資料をネットで検索していたら
思いもかけないページをヒットしてガッツポーズをしてしまう。

自分磨きをしていれば、いつか素敵なパートナーに巡り会えるかもしれない。
巡り会えなかったとしても、自分磨きに費やした時間は無駄ではない。

些細だけれども、小さな小さな積み重ねを大切にすることで
ある日突然、視界が開けて満開の花が咲く。

人生が輝いて見える人たちって
きっとそういうことの繰り返しではないかと思うのです。

中原中也の詩にもあるように
夜の浜辺で拾ったボタンを、どうして捨てることができようかってね。

偶然で終わらせるのも、必然に変えていくのも
結局は本人の受け取り方次第なんだから。

だったら、前を向いて歩いてみた方が、素晴らしきかな人生になるんじゃないかと。


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