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TERAYAMA Shizumi/ 12月 27, 2012/ 英語/ 0 comments

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映画版「ノルウェイの森」を観ました。

劇場公開した時に、真っ先に映画館で観て
そして、DVD化されたものを買っておいて、再び観ることができたのです。

ようやく観ることができた、とでもいいましょうか。

何回も書いていますが
小説版「ノルウェイの森」は、僕の人生にもっとも大きな影響を与えた小説の中で
ナンバー1の座に鎮座しておりまして、今でも大きな影響力を持っています。

映画化の話が出た時は、正直期待していなかったし
実際に劇場で観た時も、がっかりした気持ちの方が強かったです。

「ノルウェイの森」に限らず、村上春樹作品を映像化することは
やはり無理があるように思います。

「トニー滝谷」だって、一応原作に忠実に再現されていましたが
原作に忠実であればあるほど、映画化することの意味を考えてしまいます。

村上作品ほど、読み手に優しくない作品を僕は知りません。
解答があるようでないようで、何が正解で不正解なのかさっぱり分かりません。
だから解説本までたくさん発売されているのでしょう。

でも、それは当然ながら意図して書かれたものであり
逆に考えると、これほど想像力を刺激される小説もないということになります。

そんなギャップが僕にはとても心地よいので
出逢ってから20年近くが経ちますが、今でも村上作品に憑りつかれているのです。

前置きが長くなりました。
映画の感想です。

今回は自室でこもって一人で鑑賞したわけですが
劇場で観た時よりも、胸に深く突き刺さるものがありました。

この映画を批判する人の中に、「ただのエロ映画」と言い放つ人がいました。

確かに、性描写は多いです。
きわどい台詞もたくさん出てきます。

では、なぜ監督はそこまで性にこだわったのでしょうか。

前述した通り、村上作品は、読み手に優しくありません。
同時に、想像力を刺激してくれますから、いかようにも解釈できます。

その中で、監督は「生きる」ということにこだわったのではないか
というのが僕の見解です。

「死は生の対極としてでなく、その一部として存在している」
小説の中に出てくる、この一文を表現したかったのではないかと推測しています。

生きる=セックスと結びつけるのは、いささか短絡すぎますが
愛の形を探し続ける登場人物たちにとって
(しかもそのほとんどが20歳前後)
お互いの気持ちを直接確かめあう、最善の方法が
コミュニケーションツールとしてのセックスだったのではないでしょうか。

1人は、死の引力にずいずいと引きずり込まれてしまう女性。
1人は、狂おしいほど生への活力を見出そうとする女性。
その2人の女性の間で、自分の立ち位置を見失っている主人公。

映画のキャッチコピーにもなっていますが
「深く愛すること」と「強く生きること」。

そのためのセックスだとすれば、僕にはストンと腑に落ちるのです。
それは、ある種の儀式であり、祈りにも似ています。

断りを入れておくと、性描写といっても決してポルノ映画ではありません。
もちろん行為そのものを見せることが主ではないし
あくまでも手段としての一つの描写として描かれているだけなので
変な期待や過度の失望はしないで下さい。

観終わったあと、心が晴れ晴れとするような作品ではありませんが
ネットの書き込みだけを信じるのではなく
やはり、自分の目で観て直接確かめて欲しいと思います。

今回この映画を観て、僕はたまらなく人を愛おしいと感じています。


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