一葉落ちて天下の秋を知る(いちようおちててんかのあきをしる)

TERAYAMA Shizumi/ 12月 20, 2012/ 故事成語/ 0 comments

$こうたろう.com

先日行われた衆議院の選挙は、僕が望んだものとは真逆の結果になりました。

結果について、色々な場所で、色々な意見が飛び交っています。
とはいえ、数字としてはっきりと表れている以上、そこは重く受け止めて
今後の行く末をしっかり見守っていきたいと思います。

これで日本が終わるわけじゃないし。
どこの政党が与党になろうとも、この国の形が上向けばいいわけですから。

さて、そんな日曜日、翌日のゼミに向けて、ミニシナリオを書いていました。
今回のテーマは「ワイルド」。

そのお題に沿った内容で、原稿用紙5~6枚程度にまとめます。
基本的にそれ以外のフォーマットは自由です。
起承転結がなくてもいいし、無理矢理オチをつける必要もありません。

ただし、登場人物のキャラクター設定と、サブテキストに意識を向けること。
注意するとすれば、この2つくらいでしょうか。

10人いれば10通りの作品があって
みな個性がしっかりと作品に反映されていて、実に面白いし勉強になります。

最近の僕の傾向として
奇抜なキャラクターを登場させて、話をぐいぐい引っ張るのではなく
登場人物を取り巻く環境や状況をある程度自分の中で決めておいて
あとは、登場人物たちが勝手に喋ってくれればいいなと
そんなところをあえて狙っています。

狙うのは自由ですが、ことはそう簡単には運びません。
毎回毎回が、学びと気づきの連続です。
まあ、そのためにゼミに通っているわけですが。

今、行っている作業は
誰が読んでも、どこから解釈しても、明確な答えを必要とします。
登場人物は感情で動きますが
書き手は、その感情の流れを、理性を持って説明できなければなりません。

昔は僕も、キャラクターでごり押しする作品ばかり書いていたのですが
ある日、それだけじゃダメだろうとなぜか思い立って
少しずつ作風を変えてみるようになりました。

当然、最終的に狙うところは
状況設定の柱がしっかりとできていて、キャラクターも生き生きとしており
理にかなった台詞を書くことです。

それができないので
いつまでたっても紆余曲折というか試行錯誤の連続なんですなあ。

僕は以前、「音楽と踊りがあれば、言葉が通じなくてもなんとかなる」
という趣旨の文を書きました。
この考え方は今でもその通りだと思っています。

けれどそれは、言葉をないがしろにしていいという意味ではありません。
言葉を扱うことを生業にしようとしているのだから
むしろ言葉に対して敏感になっている必要があります。

歌手は、わずが5分前後の歌で、聴くものを魅了します。
歌詞にプラスしてメロディがあるとはいえ、もっとも効率的な芸術です。

ドラマなら60分とか、ワンクール3か月とかかかるし
映画や芝居だって2時間は必要です。

しかも音楽はいつでもどこでも気軽に楽しむことができます。
テレビの前で1時間拘束されることもなければ
わざわざ劇場まで足を運ぶ必要もありません。

ということで、もっぱら近頃の僕のライバルは歌詞ということになります。
メロディつきで5分前後のモノに対して
60分かけて勝負しようというのだから、なかなか手ごわい相手です。

バックグラウンドとして、単純に聞き流していた頃に比べると
自分の好きな音楽であれば、なぜ好きなのか?どこに惹かれているのか?
なんてことをようやく意識するようになりました。

たとえば、宇多田ヒカルさんの、日本語と英語のマッチングの妙とか
聴いていてぐうの音も出ません。

本当に歩みは遅いけれど
自分の中の変化に気がつき、それが将来へ繋がるのだとすれば
やっぱり無駄なことは何一つないんだなと、改めて思う次第です。


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