愁眉を開く(しゅうびをひらく)

TERAYAMA Shizumi/ 9月 16, 2016/ 故事成語/ 0 comments

mayute

つい先日、大切な大切な友人に
待望の第一子が誕生しました。

初産でしたが、母子ともに健康ということで
すこぶるにつき嬉しく、同時に安心しています。

SNSで繋がっている友達たちが
次々と結婚したり出産したりしている報告を受けると
当たり前のことですが、月日の流れを感じてしまいます。

月日の流れは、時に穏やかで時に激しく
でもみんなはたくましく生きている。
もうそれだけで涙が出るほど嬉しいのです。

勝手に心配して勝手に安心しているだけなのですが
なかなか直接会うことができない分
文字でしたためられた何気ない報告が
よけいに喜びを深めてくれるのです。

いつからこんなに心配性になったのか。
いつからこんなに涙もろくなったのか。

思い当たる節がないわけではないですが
一番の理由はやっぱり歳を重ねたせいなんじゃないかと思います。

心の中では未だに20代、30代のつもりでいるのです。
そして当時出会った仲間や友人たちも
そのまま歳を取ることなく、僕の中では存在し続けています。

ところが現実はまったく違う。
みんなしっかりと自分の人生を生きている。
大地を踏みしめ二本足で立っている。

自分だけが、感傷に浸って思い出に沈んでいる。
そんな錯覚すら感じずにはいられません。

心配事がなくなるって本来なら喜ばしいことで
もちろん喜んではいるのですが
どこかで寂しさがあることもまた事実なんでしょう。

お前がお前の心配をしろと突っ込みを受けそうですけど。

きっと誰かに必要とされて
はじめて生きていることを実感できるような
そんな性分なんですなあ。

その割には、ちっぽけな自分の器に愕然として
何の役にも立っていないことが情けない。

勝手に受信して勝手に心配するのではなく
しっかりと自分を発信すること。

きっとそれが巡り巡って
誰かのどこかに届いて、自分に返ってくる。

ないものねだりをするのではなく
自分にあるものを丁寧に積み重ねていくこと。

いい加減に成熟したいものですなあ。


Leave a Comment

メールアドレスが公開されることはありません。

You may use these HTML tags and attributes: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <s> <strike> <strong>