カリスマ美容師に切ってもらったんだ

TERAYAMA Shizumi/ 6月 11, 2016/ 死語辞典/ 0 comments

biyuosi

高校自体のお楽しみの一つに
床屋さんへ行くということがありました。

理由は単純。
中学3年間を丸坊主で過ごした(校則により)せいです。

髪型の自由が許された高校時代は
思春期特有の自我の美意識も相まって
理想の髪型を探すべく、探求の旅が始まりました。

もちろん、過度の挑発や染色はダメでしたが
丸坊主以外の選択肢が増えたことは
一つの世界の扉を開いたような解放感がありました。

最初の1年間は、何件かはしごして
自分に合う床屋さんを探しました。

この時点で、美容院は断念。
仰向けの姿勢で頭を洗ってもらうことに
どうしても馴染めなかったのです。
あと、顔そりもなかったし。

試行錯誤の末、ようやくたどり着いた1件の床屋さん。
発見してからは、ひと月に1回のペースで通いました。

今もなおその床屋さんは健在です。
さすがに当時の従業員は店長を除いて誰もいませんが
駅前の通りに店を構えて、商売を続けています。

ただ、僕が髪の毛を切ることに
高校時代のようなロマンを求めることがなくなったので
残念ながらそのお店へ通うことはなくなりました。

数年前に、ロン毛のパーマという
誰からも賛同を得られなかった髪型をしていた時代は
お世話になったんですけどね。

トップダウン方式の組織で
そのピラミッドの頂点にいる人は
大抵の場合、神秘的なカリスマ性を持っています。

実務能力がなくても、なんとなく許されてしまう
そんな雰囲気があります。

飾り物なら飾り物らしく、おとなしくしていればいいものを
欲が出てきて、その地位と権力を利用し始めて
大抵の場合、よからなぬ方向へ舵を取り出します。

神秘的なカリスマ性とは
実務能力とは関係のないところで
新しい物語を作ることができてしまう人のことです。

そしてその物語を他人に刷り込む能力だけは長けている。
なにせカリスマですから。
大抵の場合、みなこの落とし穴に気がつかず追従しています。

いずれメッキが剥がれるとしても
気がついたときには、とんでもない事態になっている
なんて話はよくあることです。

本人にその意識がなければ
なおのこと問題はややこしくなってしまいます。

絵描きになり損ねた青年が、世界を相手に戦争を始めたように
最悪のシナリオだってあり得るのです。

カリスマという言葉尻に引っかかることなく
その人の本質を見極める目を
消費者側も持つ必要があるんじゃないかと思うのです。


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