君の笑顔は素敵だ。瞳でほほえんでいる

TERAYAMA Shizumi/ 4月 13, 2016/ 映画の名セリフ/ 0 comments

egao
出典:ガラスの動物園

目は口ほどにモノを言うといいますが
確かに瞳がキラッキラしていたら
それだけで印象が大きく変わってきますね。

たとえば、無垢な赤ちゃんの笑顔に引き込まれるのは
全身で喜びを表現しているからです。
そしてその喜びに一片の曇りがないからです。

その象徴が瞳というわけです。

あのつぶらな瞳にはかないません。
見ているこちらが、なんだか恥ずかしくなってきます。
むしろいたたまれなくなると言ってもいいかもしれません。
別に悪いことをしているわけではないんですけどね。

多分僕たちはみんなあの瞳を持っていたはずなんです。
それがいつの間にか淀んで輝きを失ってしまっています。

知らなくてもいいことをたくさん知って
見なくてもいいものをたくさん見て
考えなくていいことをたくさん考えて。

その結果、何を手に入れた代わりに瞳の輝きを失ったのでしょう。

まれに、自分の興味関心のあることについて語る時
大人だって目が輝いてるなんて表現を使いますが
限定されてしまっていることが、ちょっぴり残念ではあります。

目は口ほどにモノを言うと書きましたが
逆に嘘くさい人の目は、やっぱり嘘くさいのです。
素直さとか純粋さとか、それらとは真逆の色をしています。

今の世の中を生きていくということは
タフでなければならない。
これはこれで寂しい気もしますが、事実だから仕方がない。

タフであろうとするがゆえに
自己防衛本能が働き過ぎて
他人に対して好戦的な目のぎらつきをする人がいます。

そういう人たちは、自分の中の世界がすべてなので
プライドが高かったり、なわばり意識が強かったりします。
でもそれは間違った自意識のような気がするのです。

あるいは、他人が用意した物語の中を生きている人、
つまり自我が何者かの管理下にある人は
瞳に奥行きがありません。

タフでなければ生きていけないと書きましたが
優しくなければ生きている意味がないと言った人がいます。

優しさとは、つまり他人の痛みが分かる人のことで
大抵の場合、そういう人たちは穏やかな瞳をしています。

穏やかゆえに、つけ込まれたり
攻撃されやすいという弱点があるにせよ。

それでも、他人を騙したり攻撃するくらいなら
穏やかな瞳を浮かべていたいなと思います。

でもその穏やかな瞳の奥には、揺るがない芯が1本あって
ここぞという時に、高い集中力を発揮することができる。
たとえば、プロのアスリートが見せる眼差しのように。

無垢な瞳を取り戻すことは不可能だとしても
代わりに手に入れられるものはきっとある。

自己犠牲ではない、タフさと優しさ。
そんな瞳を持ち合わせている人に
多分僕は惹かれ憧れ惚れるのだと思うのです。


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