近日息子(きんじつむすこ)

TERAYAMA Shizumi/ 11月 18, 2012/ 落語/ 0 comments

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「常識」について考えます。

一般的に言うところの常識って、つまり、「世間」と「空気」のことです。

日本は良くも悪くも村社会ですから、そこからズレたりはみ出したりすることを
極端に嫌がります。

また島国ゆえの排他主義も手伝って
やっぱり、自分たちの「世間」と「空気」にそぐわないモノは村八分にされます。

今の若い人たちに、村社会と説明しても、いまいちピンとこないかもしれませんが
ざっくりかいつまんで表現するならば、「世間体を気にする集団」のことです。

この「世間体」というものが非常にやっかいで
神を持たないこの国では、「世間体」に当てはまるかどうかで
その人の人間性をジャッジしてしまう傾向が根強く残っています。

一神教でも唯一神でも、神様がいれば話は簡単です。
神様の教えに従っているか背いているかの、二者択一で終わりだからです。

ところが「世間体」はナマモノですから、日によって姿かたちを変えてしまいます。
マスコミなんかがいい例で、称賛したかと思えば奈落の底に叩き落としたり
そういうことを恥もためらいもなく平気でやってのけます。

そしてそれらの情報を鵜呑みにしてしまう大衆がいて、「世間体」が作られます。
「世間体」イコール「常識」ですから
そこから飛び出したりはみ出たモノが、標的となり
ある時は注目の的にされ、ある時はスケープゴートにされるのです。

みんながみんなそろって右へならえする国が
非常に危険でやっかいだということを、実体験として知っているはずなのに
「世間体」から飛び出すことの方が恐ろしいという雰囲気があります。

ところが、一部の人間は、この境界線を軽く超えてしまいます。
迷いもブレもなく乗り越えることができてしまいます。

良い方向に働けば、天才と呼ばれるだろうし
悪い方向に働けば、ただのはみ出し者ということになるのでしょう。

では、この両者の違いはどこか。

常識というラインを超える時に
自分の立ち位置を把握しているかどうか、ということにつきると思うのです。

よく「バカと天才は紙一重」とか言いますが、まさにその通りで
自分がジャンプした踏切線を分かっているかどうかの違いです。
この違いはものすごく大きな違いです。

また「天才は常識知らず」と誤解されがちですが
天才ほど常識人はこの世にいません。
天才は「世間」と「空気」を読む力に長け
それらを踏まえたうえでの、ジャンプをしているからです。

スポーツの分野であれば、飛び抜けた身体能力だけでなく
それらのポテンシャルを余すことなく使い切る方法を知っているし
科学の分野では、いかにして常識を覆すかということに躍起になっています。

また芸術関係で言えば、常識を知っているからこそ
そこをあえてずらすことで、笑いを生んだり、涙を誘ったりできるのです。

精一杯の努力と、ほんのわずかなセンスさえあれば
きっと、誰もが境界線を超える日がやってくるのでしょう。

でも、その時には、すでに「常識」のラインも移動しているだろうから
その速さに負けないことが、最低条件になりますけどね。


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