お前には人間の心がわからねえ

TERAYAMA Shizumi/ 3月 6, 2016/ 映画の名セリフ/ 0 comments

okoru
出典:北国の帝王

「痛み」のある作品が好きです。
小説でも映画でも舞台でも音楽でも
登場人物の「痛み」が伝わってくる作品が好きなのです。

顔で笑って心で泣いて、なんてこと日常では当たり前のことで
単純に喜劇とか悲劇とか割り切れないものが人生です。

だから、おかしくてバカバカしいかもしれないけれど
きちんと「痛み」を感じとることができないと
薄っぺらい作品だなあと思ってしまうのです。

誤解してほしくないのは
じゃあ登場人物の設定や状況を深刻にすればいいのか
という単純なものではないということです。

先日、とあるシナリオコンクールで
上位入賞した作品をまとめ読みする機会がありました。

どの作品にも共通して言えることは
人の死を軽々しく扱っていないか?と感じたことです。

自殺未遂やあるいは震災天災の問題を設定としてぶち込めば
とりあえず悲劇っぽくなるだろうと、そんな思惑が見え隠れしました。

そしてその悲劇の先にあるものは、希望と感動です。
逆境を乗り越えた登場人物が、成長していく物語。

乱暴なまとめ方をするとこういうことになります。

いや、でも待てよと。
主人公の追い込み方があまりにも表層的ではないかと。

確かに人生は深刻だけれども
深刻ぶるために、他人の命をぞんざいに扱っていいのかと。
主人公の人生よりも、設定となった人物の方が
よっぽど劇的で深刻な人生を送っているじゃないかと。

僕が好む「痛み」とはそういう単純なことではありません。

人生には、自分の力だけではどうにもならないことがあります。
それでも人生をギブアップするわけにはいかないし(してほしくない)
うんうんと唸りながら、どうにかこうにかもがいていくものです。

そのもがく様が丁寧に描いてあれば
どんなに笑える作品だって
生きていくことのはかなさを知ることができます。

登場人物の痛みとは、つまり作り手の痛みのことです。
どんなに計算され尽した構成を練っていようが
作り手の顔というものは見えてくるし
その顔が見えるから、共感してくれる人がいるわけです。

チェスの世界チャンピオンを打ち負かしたコンピューターがあります。
コンピューターには感情移入できなくても
その開発した人の人生を想像すれば
あるいは感情移入できるのかもしれません。

「痛み」のある作品とは、つまり人生を追体験できるもののことです。
なり得たかもしれないもう一つの人生を
作品を通して体験することで、心が豊かに育まれるのだと思います。

自戒の念を込めて。


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