むべなるかなです

TERAYAMA Shizumi/ 1月 7, 2016/ 大和言葉/ 0 comments

saru

新年あけましておめでとうございます。

今さらかよってことではございますが
そこはひとつ大目に見て頂きまして
今年もずずずいっとおつきあいくださいませ。

不惑の四十を過ぎても、まだまだ毎日が手探り状態です。
とはいえ、こんな年になっても夢を見続けることができる
そんな状態でいられることに感謝しつつ
夢は見るものじゃないよ、叶えるものだよという目標のもと
なんとかね、目に見える形として、その感触を味わいたいと思います。

そうなんです。
ここ数年、新年を迎える度に同じことを言っている気がしますが
目に見える形として、結果にこだわっていきたいのです。

さすがに周囲からの風当たりは厳しいものがあります。
当然といえば当然ですが、年々その傾向は強まりつつあります。

もちろん、当の本人だって、のほほんとしているわけではありません。
それ相応の覚悟だって必要だし、プレッシャーがないと言ったらウソになります。

プレッシャーを楽しむとか、そういう次元の問題はとっくに過ぎました。
そもそも自分の「好き」を天職にしようとしているわけで
往生際が悪いといいますか、引き際を間違えたと言いますか
ここまでくるとね、もはやノンストップで走り続けるしかないのです。

当たり前のことですが、人生に絶対はありませんので先のことは分かりません。
明日になったら、スーツにネクタイ姿で通勤電車に揺られているかもしれませんし
突然の婚約宣言をして、円満な家庭作りに勤しむかもしれません。

でも先が分からないということは、人生を楽しむ基本中の基本だと思うのです。
繰り返しますが、人生に絶対はありません。
終身雇用なんて時代はとっくに終わっているし、公務員ですら安泰ではありません。

それに去年大ブレイクしたあの人たちが
今年はバイトで皿洗いをしていることだって現実に起こり得るのです。
てっぺんからどん底に落ちるなんて一瞬のできごとですよ。

そういう意味においても
長年底辺をさまよっている僕なんか、上を見上げることができるわけだし
しかもその景色はバラ色ときているものだから、本当におめでたいなと。

だからこその継続が必要なんだと思います。
継続は力なりという言葉を体現するには、ちょうどいい年頃ではないでしょうか。

うぐいすが泣くのを待つ時間は確かにありません。
ですが、うぐいすを泣かせてみることは不可能ではないのです。

これまでに培ってきた経験と自信と誇りを胸に
必要以上に卑屈になったり遠慮したりするのではなく
かといって天狗になる理由があるわけでもなく
ただただ、毎日の営みを粛々とこなしていくなかで
きっと明るい方へ光が差し込むのではなかろうかと思っているのです。

想像するだけなら自由ですからね。
自由の風に吹かれながら、想像したものを創造していくこと。

もちろんプライベートの充実だって忘れちゃいけません。
生きていく活力がないと、仕事にだって影響してしまいますし。

そんなわけで例年以上に
今年は様々な場所で色々なことを発進していきたいと思っています。

自分が納得できるものを
一人でも多くの方たちと共有しあえるように。

以上、新年のご挨拶とかえさせて頂きます。
本年もよろしくお願いいたします。


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