付き馬(つきうま)

TERAYAMA Shizumi/ 9月 1, 2012/ 落語/ 0 comments

$こうたろ.com

子どもの頃の僕は、大のウルトラマンファンでした。

親曰く、「ウルトラマンに関する本なら、なんでも読んでいた」というくらい
のめり込んでいたようです。

当然、年齢的にリアルタイムではないので
再放送を見て、その虜になったのでしょう。

リアルタイムでは、ぎりぎり「ウルトラマン’80」が引っかかるかな。
僕のウルトラマンの歴史はそこでストップしているので
平成のウルトラマンシリーズはまったく分かりません。

ついでに、平成の仮面ライダーシリーズも分かりません。

僕の中の憧れは、ウルトラマンから、やがてガンダムへ移行し
そして坂本龍馬へと受け継がれていきます。

まあ、その話はいいとして。

親戚の子どもたちと遊んでいると
彼らは○○ごっこが好きなことに気がつきます。
彼らにとって、おもちゃの世界は、目の前に広がるパラレルワールドで
実際にそこに登場する人物になりすましています。

訂正。
なりきっています。微塵も疑うことがなく。

彼らは「演技」をしません。
すっかり登場人物そのものになっているので
こちらも、それ相応の態度で臨まないと、すぐに文句が飛んできます。
子どもの想像力は無限大なんだなあと思う瞬間です。

それがやがて成長し、大人になるにつれて、いつしか「演じる」ことを覚えます。

以前ののブログで書きましたが、大人はいくつもの顔を使い分けています。
それは自分の意思とは関係ありません。
置かれた立場と環境が、そうさせるのです。

言い換えれば、決意をすると、何かを失くしてしまうことと似ています。
悲しいことに、今の僕に100%でウルトラマンの存在を信じることはできません。
それは知識を身に着けた代償として、想像力を手放したことでもあります。

架空の物語を信じるか信じないかというたとえは、いささか強引すぎますが
いつか空も飛べるはず、とか、虹のふもとに立ってみる、とか
そんな想像力でさえ、働くことはマレになってしまいました。

僕は屋上が大好きでした。
たった1枚のフェンスがあるだけで
こちら側の世界とあちら側の世界を繋いでくれる唯一の場所だと思っていました。

そこでは想像力は無限大でした。
フェンスを飛び越え、どこまでもどこまでも飛んでいく。
そう思わせるだけの不思議な地場がありました。

今では、学校をはじめとしたほとんどの建物で
屋上は立ち入り禁止になっていますもんね。

さて、落語の噺に戻りましょう。
人をだますのが人なら、だまされるのもまた人です。

これだけ騒がれているのに、振り込み詐欺や、オレオレ詐欺が後を絶たないのは
信じる力と誤解する力が、加害者の物語に引き込まれているからです。

だから上手な詐欺集団と、残念な役者、どちらの物語を信じてしまいますか?
という、またもや前回と同じ問題にたどり着きます。

一応、役者のはしくれとしてとして言わせてもらえば
役者に必要なものは、想像力を創造力に変える能力で
身もふたもない言い方をすれば、どれだけ誤解できるかということになります。

この役者の誤解力は、実は恋愛とよく似た形をしています。

それはまた、別の話。


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