現場を見てなきゃ泥棒も父親同然

TERAYAMA Shizumi/ 8月 22, 2012/ へんなことわざ/ 0 comments

$こうたろ.com

「自分の目で見て、耳で聞いたものしか信じない」という人がいます。

一理あるんですけど、考え方によってはもったいないなあと思います。
だって自分の目で見て、耳で聞いたものなんて、たかが知れていますから。

ということで、テレビをはじめ、新聞、雑誌などの媒体があって
最近ではネット上からでも、調べることはできますね。
情報過多と言われるご時世です。
本当に欲しい情報から、ゴシップ関連まで、雑多のごとくあふれ返っています。

ここで初めて
「自分の目で見て、自分の耳で聞いて」何を信用するのか
じっくり吟味して判断すればいいのではないでしょうか。

それでもね、流れている情報がすべて正しいとは限りませんし。
とある権力によって、操作されているモノだってあるわけですから。

きな臭い話は置いておいて。
もう少し、サブカルチャー的な話題でも。

もう廃刊になってどれくらい経つのかな。
「ぴあ」という情報誌があったことを憶えていますか?

音楽、映画、演劇、美術、その他のエンタメ情報を扱った週刊誌です。
これはとあるミュージシャンの言葉なのですが
「ぴあがなくなったことで、無駄な情報を知ることができなくなった」

解説すると
ぴあのページをめくれば、自分の欲しい情報はもちろん
興味のなかった情報も仕入れることができた、という意味です。

ネットでは、ピンポイントで情報を手にしますから
無駄な動きがないんですね。

で、このミュージシャンは、その無駄な動きができなくなって寂しいと
嘆いたわけです。

レンタルDVD屋にいる自分を想像してください。
お目当ての作品に一直線に向かって手にするのと
なんとなく眺めているいるうちに、あれやこれやと様々な作品を目にする。
この違いです。

お分かりいただけましたか?

文化とか娯楽に限って言えば
情報過多の方がいいんじゃないかと思うくらいです。
口コミやレビューで作品の良し悪しを判断するのも結構ですが
思い切って、ジャケット借りとかしてみるのも悪くないんじゃないかと。

そうこうしているうちに
自分の中の引き出しが広がっていくと思うのです。

で、話を元に戻すと
引き出しが広い方が、当然情報量も多く、判断する基準の幅が広がります。
幅が広がるということは、選択肢が増えるということですから
多角度的にジャッジすることが出来るようになります。
井の中の蛙、なんちゃらかんちゃらと言いますけれど
やっぱり自分の中の引き出しは広い方がいいということですね。

まる。

なんてね。
ここで〆てしまいそうになりましたが、実はまだ続きがあります。
もうしばらくお付き合いを。

自分の中の引き出しの話をしました。
狭いよりは広い方がいいと言いました。
でも単純に広いよりは、そこに深さを求めたいのです。

広く浅くよりも、広くて深い方が情報に厚みがあります。
厚みがあるということは、信憑性も高くなるということです。
信憑性が高くなると、僕らの日常は今よりもずっと色味が増します。

単純に知識の量だけを比べるのであれば、片っ端から詰め込めば済む話です。
でも、その知識を生きる力に変えてこそ、
初めて知識は役に立つのではないでしょうか。

知識を生きる力に変えたものを、知恵と呼びます。

知識人になるよりも、知恵の長けた人間になる方が
人生は、ずっとずっと魅力的になると思うのです。

今度こそ
まる。


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