この世には二種類の人間がいる。ドアから入る奴と窓から入る奴だ。

TERAYAMA Shizumi/ 5月 26, 2015/ 映画の名セリフ/ 0 comments

tobira

出典:続・夕陽のガンマン

なんというか、10代の終わりから30代の前半まで
アンダーグランドの世界で生活してきた僕には
未だにお天道様の下を堂々と歩くことに、若干の戸惑いがあります。

決して、後ろ指差されるようなことをしたわけではないです。
文字通り、陽の当たらない場所で生活していただけのことです。

でも当時は当時なりに、それはもう毎日が闘いでしたから。

けれど闘う相手が分からなかった。
敵は誰だか分かったけど、味方が誰だか分からなかった。
いつ終わるとも知れぬ、闘いの日々が続き
徐々に疲弊していったのだと思います。

結局、闘いに敗れ、ほうほうのていで逃げ出し
今もちゃっかり生きているのですが
ここへきて、ようやく闘っていた相手の正体が分かりました。

それは、

自分が作った自分の幻だったということです。

僕が右手を上げれば、左手を上げ
僕が右足を鳴らせば、左足を鳴らします。

同じタイミング。
同じエネルギー。
同じ時間を使って。

では、幻の自分って何だったのかなあと
今なら振り返ることができます。

恐らく、自分の中に作り上げた、もう一人の自分を指すのでしょう。
こいつは手強いですよ。何をやらせてもパーフェクトですから。
いつも現実の自分の半歩前を歩いていて
届きそうで届かない距離感の、もどかしさといったら。

と、考えるならば
勝ち目のない戦を延々としていたことになります。
自分で勝手に戦地へ赴き、勝手に玉砕していたのです。

…なんてね。
まったくの愚か者ですね。

自分の幻は、自分にとって最高の味方であるはずなのに
その相手に闘いを仕掛けるだなんて。

先にも触れましたが、味方が誰だか分からなかったのです。

今はもう、臆病者の風に吹かれて
自分の中のもう一人の自分を、大切に大切に扱っています。

時々、悪さをすることもありますが
過保護かっていうくらい丁寧に取り扱っています。

ところがどっこい。
今度は今度で、一抹の物足りなさを感じるのです。
もう少し、解放してあげてもいいんじゃないかと思うくらいです。

ここまで、自分の中の自分、なんて青くさい言葉を連呼してきましたが
要するに、自分の中の内なる声というものがあって
その声の主に、どう対応していくかってことだと思うのです。

主が暴れていれば、なだめすかして
やる気がなさそうなら、尻をひっぱ叩いて。

折り合いをつける、という言い方はマイナス表現になるので
お互いに納得できるまで話し合う、ということにしましょうか。

ただし、内なる声は
できることなら窓からではなくドアから出入りしたいですね。
堂々とお天道様の真下を歩きたいです。

蛇足ながら
どうやら僕の中の内なる声は、好戦的であるようです。
しばらく寝かしつけていたものが
そろそろ起きてもいいんじゃない?と問いかけてきます。

やれやれ。


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