「剃刀を磨いでくれ。冗談と剃刀は切れなきゃね」

TERAYAMA Shizumi/ 2月 15, 2015/ 映画の名セリフ/ 0 comments

higesori

出典:殺人幻想曲

ウィットに富んだ会話がしたいなあと思います。
時折、ユーモアを交えながら談笑できたらいいなと思うのです。

俺の話を聞け!ではなくて
会話が終わり、別れたあとに相手がホッコリしている。
そんな形が理想なんです。

だからと言って
何でもかんでも聞き役に徹すればいいというわけではなく
要所要所にスパッとコメントを差し込んで
その結果、会話がさらに弾んでいけば、お互いに楽しめる。

この「お互いに」というところが重要でして
どちらか一方が満足するだけでは
それはコミュニケーションとは呼びません。

相手の言葉を受け取り、投げ返す。
キャッチボールをきちんとする。
投げるボールの球種はその時々で使い分ける。

そんな器用なことができたらな、と憧れるのです。

僕は、キャスターの久米宏さんが大好きで

あの人の進行役にはいつも感心させられます。
話しの進め方、相手への促しかた、相づち、間の取り方などなど。

それでいて、きちんと自分の意見も述べるという
もはや一種の話芸の素晴らしさを感じてしまいます。

別に進行役を買って出たいわけではありませんが
見習うべきところはたくさんあるのです。

コミュニケーションの在り方については
このブログで何度も取り上げてきました。

分かりあえないことから、というのが僕の基本的スタンスです。

たとえ、家族や恋人や親友であっても。

分かりあえるはずだ、と最初から決めてかかるより
分かりあえないからこそ、どうやって相互理解を深めていくのか
という立ち位置の方が、より建設的のような気がします。

「会話」にまつわるマニュアル本は山のように売られています。
逆に考えると、それだけ「会話」に困っている人がいるということです。

雑談なのか、会話なのか、対話なのか、その区別もできないまま
相手を受け入れましょうとか、うなずくタイミングを計りましょうとか
そんな売り文句は無謀だろうと突っ込みたくなります。

コミュニケーションにこだわる人には、大きくわけて2種類のタイプがいます。
「自分を分かって欲しい人」と「相手を分かりたい人」です。

で、意識的だろうと無意識だろうと、どちらかに偏り過ぎている人は
結局、何も分からないまま途方に暮れて、最悪逆ギレとかしてしまう。

でもね。
僕は信じているのですよ、人間の可能性を。
某アニメの言葉を借りるなら、人類の革新ってやつですね。

分かりあえないことからスタートして、いつか分かりあえる日が来る。
そうすれば、毎日のように流れる悲しいニュースも
いつの日かなくなるのではなかろうか。

一番怖いことは、表現の自由を奪われることです。
今の日本には、そんな雰囲気が漂い始めている気がしてなりません。

他人を知り、世界を知り、己を知る。
その権利は誰にも阻害されてはならないものです。

なんてね、小難しいことを考えてばかりいても肩が凝ります。
差し当たって、愛しいあの子のハートをキャッチする方法。
そんな下世話なことに、躍起になっている方が人間臭い。

そう、人間って臭い生き物なんですよ。
だからこそのコミュニケーション力が必要なのです。

さてさて、ふふん。


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