「私はノーマン・メイン夫人です」

TERAYAMA Shizumi/ 11月 11, 2014/ 映画の名セリフ/ 0 comments

出典:スタア誕生

人の評価って、近くにいる時はなかなか気がつきにくいものですが
離れて遠くから眺めてみたり、酷い場合は亡くなった後に
初めて分かるということがママあります。

じゃあ、その評価って何だという話になると
それはもう、第三者が自由好き勝手にレッテルを貼るだけのことで
当の本人とは無関係のところで、盛り上がることが多いことも事実。

亡くなってから評価が上がった芸術家たちはたくさんいますが
誰かに頼んだわけでもないし、遺言書に書き残した何かがあるわけでもない。
できることなら、生前にその実力を認めてほしかったというのが本音でしょう。

人は死んだ時点で、その人生の物語が完結するはずなのに
そこへあとがきを書き込む人たちがたくさんいます。

たとえばクラシック音楽やシェイクスピア作品など
「古典」と呼ばれるものが、この時代においてなお色褪せないのは
次から次へとオマージュの連鎖が続いていくからだと思うのです。

評価や評判を上げる人がいる一方で
逆にガタ落ちしていく人がいます。

死んだらみな平等とか、あれウソですね。

死者に鞭打つような態度自体どうなんだって話ですが
それだけ生前に悪事の限りを尽くしてきたわけだから
いたしかたない部分もあるのかなと思ったり。

評価や評判は、第三者が勝手につけると前述しました。
では、もっと身近な人たちにとってはどうなのでしょう。

僕の経験則からいうと
人は死んだら、ただの肉の塊りになるだけです。
美化することも美談に変わることもありません。

住職さんに戒名をつけてもらい、故人を偲ぶ語らいの場があり
やがて時間の経過と共に、記憶から消えていきます。

ところが、記憶から消えていったとしても
亡くなったという事実は残りますから
その事実を後世に語り継ぐことはできます。

親から子へ、子から孫へ。
一族の血はこうして流れ続けていくのです。

でもね、と。
それじゃあ、あんまりにも虚しくないかい、と。

僕の中で、何がこの世で一番怖いかというと
僕という存在を知っている人が、誰もいなくなることなんです。

完全な無。
完全な孤独。

これが一番恐ろしい。

だからね。

死んだ後のことまでは責任取れませんが
せめて生きている間に出会った人たちとは
そこに何かしらの意味がきっとあるはずで
そのご縁に、感謝の気持ちを忘れないようにと思うのです。

ハローハロー。
もし世界中の人たちが敵に回ったとしても
僕だけは君の味方でいるだろう。

君がこの世から消えて
いつか僕の記憶からも消えていくことになったとしても
僕は君の味方であったことを誇りに思うよ。


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