ああ言えば上祐だなぁ

TERAYAMA Shizumi/ 10月 11, 2014/ 死語辞典/ 0 comments

oumu

さすがにこのタイトルは悪ふざけの度が過ぎますね。
とは言いつつどうにかしてやろうと考えてしまう
そんな己の性が憎らしいですわ。

そもそも20代より下の世代の方には
どんな意味なのかも分からないのではないでしょうか。

上祐さんという、とある団体のスポークスマン的な人がいまして
この団体はマスコミに散々叩かれるわけですが
その度に、矢面に立って詭弁や言い訳を繰り返した結果
マスコミが皮肉を込めて名付けた言葉なんです。

名付けたマスコミもどうなんだって話ですが。

この団体が起こした事件のインパクトを考えると
話題をそこへ集中させることは、さすがに躊躇われるので
今回は外向きの話ではなく
内面のつぶやきとして先に進みたいと思います。

それにしても何だろうなあ、この自信のなさは。
ワタシという人間に自信が持てなくなっている。

もちろん自信満々ですなんて言う人は信用ならないけど
心のどこかでいつもビビっている自分が情けない。
ここぞっていう時に力を発揮できないことがもどかしい。

昔から本番に強いタイプではなかったことは事実。
でも「ここまで自分を追い込んできたのだから」という自負はあった。
そして「追い込んでもこの程度か」という悔しさも同時にあった。

ところが今は、やることなすこと全部が中途半端で
最後の最後で「まあ、いいや」とあきらめてしまっている。

つまり自分自身に負荷をかけられなくなっているのです。
で、失敗するたびに、リトル清水が言い訳をするのです。

屁理屈ばかりこねて、行動が伴わなくなっているこの現状。
原因はなんだ。

一度生死の淵をさまよって生還してきた人って
確実にある種のタフさを持ち合わせている気がします。

それなのに僕ときたら
生死の淵なんて大袈裟なモノではないにしても
ある部分で死にかけたことは事実だとして、そこから生還しても
「修羅の門」的に言うなれば、未だに「壊れている」状態なんでしょう。

という言い訳を延々と繰り返しているわけです、実際。
情けないなあ。情けないなあ。

過去の自分に戻って自信を取り戻すのではなく
傷も痛みも老いも全部認めたうえで、そこにプラスアルファを足していく。

時間は取り戻せないけど、針を進めることはできる。
ならば、明日が新しい自分の最初の一日くらいに思って
上積みしていけばいい。

少なくとも、経験はあるのだから。

失敗しても昔を引きずらないし、そこに言い訳を求めないこと。
目の前の壁に登れないのなら、叩き壊せばいいだけのこと。

そうすればね、「化ける」可能性があるんじゃないかって
そこだけは本気で信じているのですよ。

器用貧乏でお人好しのおっさんなんかじゃなくて
もっともっと感覚を研ぎ澄まして洗練させていかないと。

だから、もう自分の行動にクエスチョンをつけるのはやめよう。
と、いつも思っているんですよ。

目覚めよ、と呼ぶ声が聞こえ。


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