僕は死にましぇーん!

TERAYAMA Shizumi/ 8月 10, 2014/ 死語辞典/ 0 comments

事故

ドラマ史において、語り継がれる名セリフ・名シーンというものがありまして
この一言も間違いなく、その仲間入りをした名セリフだと思っています。

武田鉄也さんのモノマネの影響で、ある意味ギャグとして認知されがちですが
リアルタイムで観ていた者にとっては、心打たれる最高のプロポーズですよ。

だって、「あなたのことが好きだから、僕は死にません!」なんて言えないでしょ、普通は。

「あなたのためなら死んでもいい」じゃダメなんです。
死んでしまっては、残された相手に、重く暗い影を落とすだけで
それじゃ自己満足して、自己完結で終わってしまいます。

この先、どんな茨の路が待っていようとも
あなたと一緒に生きることを決めました、という覚悟と決意を伝える方が
何倍も勇気の要ることだと思いませんか?

自己犠牲をテーマにした小説や映画は、それこそ五万と転がっています。
感動してしまうような素晴らしい作品も、当然のようにあります。

けれど、作品はそこで終わるから観ているこちら側には余韻が残るのであって
その先を生きていかなければならない当事者たちには、感動も何もありません。
現実問題として、ただただ悲しみに暮れるしかないのです。

今週は、広島、長崎と相次いで筆舌に難い記念日を迎えました。
どんな理由があったにしろ、戦争は絶対悪です。
世界で唯一の被爆国である日本は、そのことを忘れてはいけないはずなんです。

にも関わらず、時代と逆行するような風潮が流れ始めています。

確かに世界のあちらこちらで、紛争が絶えない地域はたくさんあります。
だからといって、軍事介入だけが解決の方法でしかないと考えているなら
それは間違っていると、声を大にして言いたいと思います。

有事の際に国民を守るため、と言えば聞こえはいいですが
有事を起こさせないのが、為政者の務めであり
目には目をの考えでは、子どもの喧嘩と何ら変わりはありません。

そんな喧嘩に巻き込まれて、命を落とすことがあったら
それこそ一体誰が責任を取ってくれるのでしょう。

僕は、国のためには死ねないけど、家族や友人や恋人のためなら
この命は惜しくないと、大げさではなく本気で考えていました。

ですが、今は違います。
愛する人がいる以上、絶対に命を粗末にしないと決めました。
どんなことがあっても生き抜くつもりです。

だから、子どもの喧嘩の延長線上にあるような
わけの分からない法律だの、意味不明な憲法解釈だのと
そんなものに巻き込まれてしまう場合じゃないのです。

この時期になると、毎年考えてしまうテーマではありますが
何度も何度も繰り返し同じ気持ちを伝えていくことが、必要じゃないかと。

「はだしのゲン」を読んだ記憶はありますが
中身はほとんど忘れてしまっています。

けれども、子どもながらに「恐怖」を感じたことだけは、今でもはっきり覚えています。

そんなある種のトラウマ的存在も、こういう時に役に立つものなんですね。

あるいは、僕はただの臆病者なのかもしれません。
それでも他人の命の犠牲の上に立つくらいないなら
堂々と、臆病者でいたいと思うのです。


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