within a stone’s throw

TERAYAMA Shizumi/ 7月 10, 2014/ 英語/ 0 comments

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:I live within a stone’s throw of my school.
:The address you are looking for is within a stone’st throw of the station.

「運命の人」というのは、どうやら実際にいるらしい。
しかも一人ではなく複数で。

複数いる時点で「運命の人」と呼んでいいものやらって話ですが
事実なのだから、仕方がない。

ざっくり半生を振り返ってみても
確かに節目節目で多大な影響を与えてくれた人というのが存在する。

何も惚れたはれたの異性のことだけじゃなくて
たとえば、学校の先生、好きな作家、尊敬するスポーツ選手などなど
自分の人生に良くも悪くも彩りを与えてくれた人たちのことだ。

「運命の人」は、ワタシという人間の人生の一部をかすめ取っていく。
素通りしていくだけの人の方が圧倒的に多いのだけれど
ごく稀に、人生の価値観をひっくり返すような人と出逢うことがある。

たとえば僕は、大学時代に村上春樹さんと出逢い、何かがハジけて決壊した。
僕の恋愛物語の原風景は「ノルウェイの森」で
未だに、この作品を上書きするようなエネルギーを持ったものには出逢っていない。

ここでは、出逢う時期というものが一つのキーワードになってくる。

世間的に村上春樹さんがブレイクしたのは、僕が中学時代の頃。
恐らく、この時に出逢っていても、さほどインパクトは受けなかったかも知れない。

天童荒太さんに出逢ったのは、もう少し後になる。
録画だけしてまだ見ていないのだけど
あの「家族狩り」がドラマ化されたと聞いて、それだけで押さえきれない衝動がある。

高校や大学だって、別の学校に進学していたら
当然出逢う友人は違った人物になったはずだし
芝居の道ではなくて、絵描きの道を選んでいた可能性だって否定できない。

結局のところ、人生は選択の連続じゃんという、お決まりのフレーズが出てくるのだけど
それだって、もしあの人と出逢っていなかったら、こっちの道には進んでいないぞ
ということだって数えきれないほどあるのだ。

言い換えると、自分ですべて選んできたと思っていることでも
実は、見えざる手によって導かれていた可能性があるんじゃないかと。

人間関係だって同じだ。
幸福な出逢いもあれば、ストレスで胃に穴が開く思いをすることだってある。
昨日の友は今日の敵だったり、味方が誰だか分からなかったり。

あの人とこうなる運命だったのねっていうのは、後付けかも知れないけれど
ビビっときたっていうのだって、当の本人しか分からないのだから説得力に欠ける。

とどのつまり、運命ってやつが本当にあるのだとしたら
それは、ものすごく身近なところにあるってことです。

携帯電話とインターネットのおかげで
時間と距離の壁は吹っ飛びました。

地球の裏側に住んでいる友達と
リアルタイムで会話することだって可能な時代になっています。

見逃すことの方が、逆に難しいんじゃないかとさえ錯覚します。
足元をもう一度よく見てみると、意外な所に転がっているかもしれないですよ。


……
………

本当かなあ。
自分で書いていて嘘くさいなあ。

違うな、きっと違う。

運命は身近なところにある。
だけど、その事実に気がつく人が少ないってことだ。
手に入れても手放してしまう場合があるってことだ。

仰々しく構えることはない。
冷静な判断力と、大胆な行動力さえあれば道は開ける。

邪魔をしているのは自分自身。

何の話だ。
収拾がつかなくなったので、これにてシャットダウンします。


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