孟母三遷(もうぼさんせん)

TERAYAMA Shizumi/ 6月 18, 2014/ 故事成語/ 0 comments

母

連日連夜、ワールドカップで大盛り上がり!といきたいところですが
実際は、ダイジェスト番組を見る余裕すらないほど、今週は多忙です。
先週はあんなに暇を持て余していたというのに…

人生は、なかなか思うようにいかないのが常ですね。

環境を整えようにも、僕みたいなフリーランス(要はプー太郎)は
遠くを見つめたいがために、近くのことに追われることが当たり前で
直近のスケジュールでさえ把握できないことが多々あります。

要領が悪いのか、段取りが下手くそなのか。
フリーダムを手に入れるためには、その代償もまた大きいということです。

そんな頼りがいのない長男をしり目に
我が家の期待を一身に背負った姪っ子は、部活に習い事に大忙しのようです。

毎日のように母親(僕から見れば姉)と喧嘩していますが
中学校の生活にもようやく馴染んできて、なんだかんだと楽しんでいます。

それでも微妙なお年頃になったことは事実で
ああ、これが若さというやつか…と叔父は一人
共感できる部分と、修正すべき部分を分析して、遠巻きに様子を伺っています。

僕は親になったことがないので、その微妙なさじ加減は分かりづらいのですが
学問と情操教育の問題は、なかなかに手ごわいと思っています。

実際に、中学校で働いていた時も、バランスを取ることに苦労した覚えがあります。
一人ひとり個性がありますからね。なんでもかんでも杓子定規で計ることはできません。

個性で言えば、ポリバレントなバランサーになるよりは
スペシャリストを目指して欲しいと、勝手に願っています。

周りの大人たちは環境作りしかできませんが
その環境一つで、今後の人生が大きく左右されるのだから
ここはどうしても慎重にならざるを得ません。

そして、そのことは子どもに限ったことではなく
我々のような大人にも同じことが言えます。

置かれた立場と環境が、人の行動指針を決めると思っていますから
家族の中のポジション、会社でのポジション、恋人といる時のポジションなどなど
全部、面白いくらい違うわけですね。

基本的な人格は一つです。根っこの部分が変わるわけではありません。
ただ、振る舞いやたたずまいが変わるのです。

無意識に演じ分けている自分がいて、でもどれも本物の自分であって
ここのギャップに悩んでいる人がいれば、まったく気がついていない人もいます。
そういう人間観察をほくそ笑みながら観察している自分が、またいやらしいなと。

勝ち組だの負け組だの、格差社会だのと言われて久しいですが
現実に目を向ければ確かにイタい話でも
心の持ちようで、どうにかリカバリすることはできます。

それでもしんどいのなら、今いる環境から飛び出せよと突っ込みたくなりますが
一般常識のある社会人なら、まず簡単にはできないですよね。

だから、他人を通して自分の夢を見る。
ドラマや映画やスポーツに一喜一憂するのは、そのためです。

世界をあるべき形から切り取り
別の形に組み替えることが芸術家の仕事であるなら
やはり芸術家は夢を見せるべきだし
人々はその夢を見る自由があって然るべきなんです。

そのための環境作りが必要で
人は、一生をかけてその道筋を探す生き物なんじゃないかと思うのです。

よりベターな人生へ。
よりベストな人生へ。

価値観は人それぞれですから、何を持ってベストなのかは分かりません。
でも、日々の雑務に追われている時こそ、時々立ち止まって深呼吸をしてみる。

どうですか?
あなたは、あなたの道を自分の足で歩いていますか?

なんてことをね、たまには考えてみてもいいんじゃないかと。
はい。


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