be beside oneself with

TERAYAMA Shizumi/ 5月 10, 2014/ 英語/ 0 comments

英語
:I was beside myself with joy.

「サッカーの話を始めると人が変わる」

今も昔もよく言われる言葉です。
僕自身、そんなつもりは毛頭ないのですが
明らかにテンションが別人だとか。

でも、思い当たる節がないでもない。
代表がふがいない試合をして負けた夜は、確かにご機嫌ななめです。

勝った時の喜びはすぐに忘れてしまうけど、負けた悔しさは後を引きます。
それが分かりやすく態度に現れるから、冒頭のような言葉をかけられるのです。

「喜び」や「楽しみ」といった感情を表に出すことが苦手でした。
多分それは今もあまり変わりないのだと思います。

いわゆる「縦ノリ」がダメで
ライブ会場へ行っても、一人だけ冷静な自分がいます。

決して退屈しているわけではありません。
ただ、客観的に状況を把握して、別のベクトルで楽しんでいるのです。

その昔、この人は本当に大丈夫なのだろうかと
本気で心配されたことがありました。

かと言って、常に冷静沈着でいるわけではありません。
人並みに苛立つことだってあるし、人並みに悔しい思いをすることもあります。
それはもしかしたら、人並み以上かもしれません。

そしてそういうネガティブな感情に振り回される自分が嫌で
努めて、平常心を保とうと心がけていることは事実です。

感情のふり幅は平等ですから
ネガティブな感情を抑えようとして、結果、ポジティブな感情も表現しにくいのかなと。

なんて、自己分析している自分がまたいるわけですね。怖い怖い。

以前もどこかで書きましたが
二十歳になるまでの自分は、「不完全」な自分で
もう一人の自分の「影」のような存在がどこかにいるはずだと信じていました。

その「不完全」さに「影」が加わることが、大人になることだとずっと思っていました。
二十歳になれば、その「影」がやってくるのだろうと、勝手に解釈していたのです。

当然、そんな「影」なんてものは存在しなくて
二十歳になっても何かが劇的に変わることはありませんでした。
二十歳になることと大人になることは、何も関係がないことだと気づいただけです。

僕は、徹頭徹尾の下戸なので、お酒を飲んで我を忘れることがありません。
雰囲気に酔いしれることはあっても、最後はきっちり憶えています。
アルコールの力を借りて×××ということも、経験したことがないのです。

ただ、一度。
人間、本当に悲しい思いをした時は、あえてその感情に引きずられないんだな
ということを身を持って体験したことがあります。

心がシャッターを閉じてしまう状態です。
シャッターを閉じなければ、自分が壊れてしまうほどの悲しい体験です。
誰かとシェアすることさえできません。

唯一、時間だけがその痛みを和らげてくれるのかもしれませんが
それだって、途方もなく長い月日が必要です。
場合によっては、墓場まで持っていくことになるかもしれません。

でも、どうせ墓場まで持っていくなら、楽しい思い出の方がいいじゃないですか。

僕は楽観主義者でもなければ、極端な悲観主義者でもありません。
だから、もし仮に心壊れるほどの悲しい思い出が残るのだとしても
それと同じくらい、幸福な思い出もきっと残るに違いないと思っているのです。

人生、楽があれば苦もあるし、その逆もまた然り。
フィフティーフィフティーを基準に考えれば
大抵のことはどうにか切り抜けられるんじゃないかと、そんな気がしてます。

蛇足ながら、恋は盲目って言うじゃないですか。
盲目になるくらいの恋って素敵だと思うんですよね。
だって、周りが視界に入らないくらい夢中になれるってことでしょ。

度が過ぎると犯罪に繋がりかねませんが
でも人が人を想う気持ちに勝るものって
そうそうないよなとしみじみするのでした。


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