いいからチャンネル回すぞ

TERAYAMA Shizumi/ 5月 4, 2014/ 死語辞典/ 0 comments

親父

たとえば、電車の中で高校生の会話を聞くともなしに聞いていると
その展開力というか、話題の変化の早さに驚かされます。

さっきまでAという話をしていたのに、気がつけばBの話題になっていて
油断しようものならすでにCからDへと進んでいます。
しかも、片手でスマートフォンをいじりながら。

20も歳が離れると、こうも違うものなのかと、ただただ驚いています。

ただ、学生君たちの会話で共通していることは、中身に深さがないということです。
というか、そもそも最初からそのようなものを求めてはいないのです。

会話が、対話ではなく雑談レベルだからこそ
次から次へと展開していくことが可能なのです。

対話>雑談ということではありません。
その場その時の状況に合わせて、使い分ければいいだけのことです。

ただ、老婆心ながら思うことは、雑談ばかりが増えて
いったいどこで対話をする時間があるのかなということです。

もちろん、電車内で深刻な問題を取り上げることは難しいかも知れませんが
あれだけのスピードで雑談を重ねていけば
もはや対話は必要ないんじゃないかとさえ、勘ぐってしまいます。

さらに目の前の相手と雑談をしながら、同時にメールで雑談をする。
一体、あなた方の注視する場所はどこですかと。

若者のコミュニケーション不足が叫ばれて久しいですが
上の世代のいうコミュニケーション力とは
「機転の利いた言葉を発せよ」と「場の空気を読めよ」という
相反する二つを同時求めているものです。

まあ、無茶な要求ですわな。

とはいえ、少なくとも相手の言葉に耳を傾けることは必要ですね。
みんながみんな、俺が俺がになっていて
しかも発する言葉が文章ではなく単語のみという不気味さ。

これで、パブリックの場でスピーチを求められたり
ディスカッションの場で意見を要求されて答えられるわけがないのです。

スピーチもディスカッションも、訓練すれば形にすることはできます。
ハウツー本も山積みになって売られていますから
それはそれで勉強してもらうとして。

対話と雑談は、まったくの別物だということをきちんと認識した上で
その場で求められているスタイルで応えればいいと思うのです。

だから、決して雑談の延長に対話があるわけではありません。
そこを勘違いしてしまうから、いざ深刻な問題に直面した時に
大切なフレーズが出てこないで、問題をことさらややこしくしてしまうのです。

表面だけの会話は、薄っぺらいけどお手軽なことには間違いなくて
けれど対話が必ずしも深刻ぶっているかと言えば、それも大きな勘違いでして
かと言って、心を解放しようとか自由にすれば楽になる、なんて広告はまやかしで
いったい、僕らの21世紀型コミュニケーションはどこにあるの?という
実に素朴な疑問にたどり着いてしまうのです。

こういう時こそ、スポーツや芸術の出番だと、僕は思うのですけどね。

話題があちこちに飛んで、徐々に混乱してきたところで本日はおしまい。
いささかチャンネルを回し過ぎました。

でも、コミュニケーションの話は、機会があれば、またどこかでぜひに。


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