鼓腹撃壌(こふくげきじょう)

TERAYAMA Shizumi/ 4月 20, 2014/ 故事成語/ 2 comments

えだまめ

自分の日常を楽しむ余裕が欲しいです。

もちろん誰かに何かを急かされているわけでもないし
のっぴきならない事情があるわけでもないです。

ただ、自分の中で現状を満喫できていないなあと
そんな風に感じることが多いこともまた事実なのです。

現状に満足してしまったら、そこで成長が止まってしまうので
常に高みを目指していかなければという危機感はあります。

たとえばこれが20代の頃なら、危機感だけで突っ走れたのかもしれません。
それが、まがりなりも歳を重ね、若干ですが周りを見渡すことができるようになると
ふと、自分の人生楽しんでますか?という問いにぶつかるのです。

楽がしたいわけではありません。
僕が楽することを覚えたら、あとは自堕落的に救い難い道が待っているだけです。

そうではなくて、ある程度の緊張感の中で
そのテンションを楽しめるだけの、器の広さというか深さが欲しいのです。

些細なことに、いちいち敏感に反応するのではなくて
どんと構えてきっぱり決断できるだけの、度量が欲しいのです。

自分の感情に振り回されるだけの人生は、とうに終わりを迎えました。
これからは、その感情と上手に付き合っていく方法を探したいと思います。

とはいえ
僕は神様でも仏様でもないし
解脱もしてなければ、達観しているわけでもありません。

目の前を、可愛いおネエちゃんが通り過ぎれば
ついつい振り返ってしまうような、野暮ったい俗物です。

どこでその折り合いをつけていくのか
ということが今後の課題かも知れません。

自分だけの幸福を願うのなら、感情の赴くまま動けばいい。
世界中の人々が、なんて大風呂敷は広げませんが
せめて目の届く範囲にいる人たちには、幸せのおすそ分けができたらいいなと。

僕は、根がペテン師なので
借りを作る人生ではなく、貸しを作ってその利子で悠々自適な生活を送りたい。
幸せのおすそ分けなんて傲慢な考え方のような気もしますが
そのお釣りで小銭を稼いで、貯金箱をいっぱいにしたい。

そのためには、最初に戻りますが、やっぱり自分に余裕を持って
他者と関わっていかないとダメだと思うんです。

交わると言ってもいいかな。
いや、もっと深いところで繋がらないと、なかなかその境地には達せないか。

異文化交流ならぬ、異文化濁流みたいな、ね。

他人に多くを求めない、期待しないと思う一方で
他人に好かれたかったら、自分から好きになってしまうことが手っ取り早いわけで
多くの人に貸しを作りたいと望むなら
多くの人と濁流していく必要があります。

んー。
極端に激しい人見知りの僕ですからね。
そんな器用な立ち回りができるのでしょうか。

そもそも、それだけのキャパを持ち合わせているのでしょうか。

人生も折り返し地点ですからね。
どすんと、大きな根っこを自分の内にはって
あとは枝葉で、ちょいちょいとやっていきますか。

だから、そのちょいちょいをするための余裕が欲しいんだってば。


2 Comments

  1. はじめまして、チップ姐です。イラストのご利用ありがとうございました!またのご利用をお待ちしております(๑´ω`๑)ノ”

    1. >チップ姐さん
      ご丁寧にコメントありがとうございます!
      素敵なイラストだったので、使わせてもらいました。
      また機会がありましたら、その時はよろしくお願いします。

Leave a Comment

メールアドレスが公開されることはありません。

You may use these HTML tags and attributes: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <s> <strike> <strong>