put aside

TERAYAMA Shizumi/ 5月 31, 2012/ 英語/ 0 comments

$こうたろ.com
:Please put it aside for me.
:Let’s put this money aside for the trip.

これはもう生まれついての癖なのかも知れないけど
「他人の言動の裏側を読む」という、いやらしい根性があるらしい。

例えば、飲み会の席。

周りは程よく酔っぱらって、感情を解放しているとしましょう。
下戸であるがゆえ、一人しらふな僕は
意識的にせよ、無意識にせよ、ついつい場の空気みたいなものを
敏感に感じ取る習慣があります。

こっちの席ではこんな会話、あっちの席ではあんな会話
そんなことが繰り広げられていることに、耳がダンボになってしまいます。

別に冷めているからではありません。
下戸でも、その場のテンションには乗っかるし
みんなと、やいのやいの騒ぎまくり、どうでもいい話題で盛り上がっています。

ただ、その空間にうごめく様々な感情のやり取りに、敏感になってしまうのです。

目に見えない、耳に聴こえない声、のようなものが
同時多発的に自分の中に入ってきてしまう感覚。

この感覚(のようなもの)が、時には役に立ち、時にはうっとおしくなります。

ドラマや映画や芝居を観ていても
感情のやり取りが、自分にとっての肝みたいなものになるので
構成がどうのとか、セットがどうのとか、衣装がどうのとか
もちろんそれらは物語に幅を持たせるために欠かせないものであるにせよ
たいして意味をなさないんですね。

そういった感情のプールみたいなものが、自分の中に溜まり
時にドカンと爆発するのです。

だから人ごみが苦手です。
勝手に頭の中に入ってくるなあ!と叫びたくなる瞬間があります。

気を緩めているとそんな状態ですから
今度は、インプット作業するためには
あえて一歩引いたスタンスでいることが必要になります。

資料として借りてきた映画なんかを観る時は
名作であればあるほど、のめり込んでしまう自分と
今度は、それこそ構成だの、セットだの、音楽だのと
神経を張り巡らせている自分がいます。

はっきり言って、この乖離状態はややこしいです。
でもこれらが、やがて自分の血となり肉となるのかと思うと
仕方ないのかなあとも思います。

せめて、客観的に咀嚼できる脳みそがあれば、もう少し楽なんでしょうけど。
論理的かつ合理的に物事を説明するのが苦手なわけです。

昔、お世話になっているスタッフさんに
僕と、A君との仕事の違いについて質問したことがあります。

僕は「感覚の人」でA君は「論理的な人」と答えが返ってきました。
どちらが優れているかという問題ではなく
その人の持っている資質だから
どちらも一緒に仕事をしていて楽しいと言ってくれたことが救いでした。

さて、6月はインプット月間です。

というか、本当はアウトプットしなければいけないのですが
腰の重い、O型おうし座はようやく動き出したので
ほぼ同時進行で行うことになります。

このあたりも、いい加減どうにかしたいと、いつも思っているんですけどね。
分かっちゃいるがやめられない。


Leave a Comment

メールアドレスが公開されることはありません。

You may use these HTML tags and attributes: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <s> <strike> <strong>